【書評】アジア最大の東洋学の宝庫:牧野元紀・編著『東洋文庫の100年 開かれた世界屈指の学問の殿堂』
東京都文京区にある「東洋文庫」は世界有数の研究図書館。古代中国の歴史書『史記』、マルコ・ポーロの『東方見聞録』などアジア全域に関する100万冊の蔵書を誇る。本書は創設者をはじめ東洋学を専攻する学者らを軸に百年史を紡ぐ。
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英紙北京特派員、モリソンの蔵書
大英帝国の植民地だったオーストラリアで1862年に生まれたジョージ・アーネスト・モリソン(George Ernest Morrison)。英エジンバラ大学医学部卒業、探検家、英紙ロンドン・タイムズの北京特派員を経て、1912年に成立した中華民国の政治顧問を務めた。この伝説的ジャーナリストを抜きにして東洋文庫は語れない。
モリソンの生涯は波乱に富む。本書によると、北京特派員時代、義和団の乱(1901年)の八カ国連合軍の紫禁城占領時には「イギリスの将校付となり、実際の戦闘に参加し怪我を負っている」。日露戦争(1904~05年)では「日本の軍隊付として情報を送り、あらゆる交渉の場に参加している」のだ。大英帝国の「中国政策を導いた人物」として知られる。
1902年に日英同盟が締結された。清朝末期の中国では1911年に辛亥革命が起きた。そうした時代だったからこそ、英紙特派員の枠を超えた縦横無尽の活躍ができたのだろう。
その一方で、無類の蒐集(しゅうしゅう)癖を持つモリソンは中国を中心としたアジア全域に関する欧文の書籍・定期刊行物、各種地図、絵画、銅版画、日露戦争の資料などを20数年かけて集めた。北京の自宅内に防火設備を備えた個人図書館を設けた。「アジア文庫(Asiatic Library)」と呼ばれ、北京では知る人ぞ知る存在だった。
愛書家の三菱財閥3代目が創設
モリソンは帰国にあたり、アジア文庫の売却先を探した。米国のハーバードなど有力大学や中国の著名な学者から希望が相次いだが、1917年にモリソンの言い値の3万5000ポンド(現在の価値で約70億円)で約2万4000点をぽんと購入したのは、三菱財閥の3代目当主、岩崎久彌(いわさき・ひさや)だった。
北京から都内に運ばれた「モリソン文庫」を中核として、久彌は1924年に財団法人として「東洋文庫」を創設した。
久彌は1865年、土佐の国(高知県)で岩崎彌太郎、喜勢(きせ)夫妻の長男として産声をあげた。東京に移った後、10歳で慶應義塾へ入学、福沢諭吉の薫陶を受けた。米ペンシルベニア大学に留学した国際派である。三菱財閥を率い、近代日本の実業界の頂点を極めたが、控え目で冷静沈着な教養人でもあった。
何よりも愛書家(bibliophile)だった。漢籍や和書、浮世絵にも造詣が深く、稀覯(きこう)本を含めて和漢の一大コレクションを築いた。「岩崎文庫」として東洋文庫に寄贈した書籍は3万8000冊にのぼる。本書では創設者、久彌について「慎み深い謙譲の美徳が生涯貫かれた」と指摘、こう記している。
数々の文化事業のうち一大精華といえる東洋文庫の設立とその運営に関しても、「お金は出すけど、名前は出さない」方針で一貫しており、学者の手に委ねるのみで本人は一切関与することがなかった。
東洋学の世界五大図書館のひとつ
東洋文庫の事業は「東洋に関する図書の蒐集、東洋学の研究及び普及」を目的としている。図書館と学術研究所を兼ね備え、東洋学を専攻する内外の著名な学者を研究員に委嘱してきた。
当初は図書費、研究費も潤沢だったため「学者の楽園」といわれた。しかし、日中戦争、太平洋戦争の戦渦に巻き込まれ、職員の召集などもあって運営は困難になった。貴重な書籍類を空襲から守るため、宮城県に疎開させたこともある。1945年の敗戦により、資金源である三菱財閥も解体された。戦後は国立国会図書館の支援を一定の時期受けるなど曲折をたどっ
東洋文庫の蔵書総数は現在、約100万冊。言語別の内訳は、漢籍40%、洋書30%、和書20%、他のアジア諸語10%となっている。この中には司馬遷の『史記秦本紀(しきしんほんぎ)』、平安時代の日本で書写された『文選集注(もんぜんしつちゅう)』など国宝5点、日本イエズス会編『ドチリーナ・キリシタン』など重要文化財7点が含まれる。
中国明代の百科事典『永楽大典(えいらくたいてん)』、フランス革命で処刑されたルイ16世の王妃マリー・アントワネットが愛蔵したとされる『イエズス会士書簡集』、杉田玄白らが訳した『解体新書』とその原典『ターヘル・アナトミア』など珍しい書籍も少なくない。
東洋文庫は東洋学の世界五大研究図書館のひとつに数えられる。大英博物館、フランス国立図書館の各東洋部門、ロシア科学アカデミー東洋写本研究所、米ハーバード・イエンチン(燕京)図書館と肩を並べる。アジア最大の東洋学の宝庫だ。
東洋文庫に貢献した人間ドラマ
東洋学は英語でOriental Studiesと表記されるが、東洋文庫は日本を含めたアジア全域の歴史と文化を研究対象にしている。本書では東洋文庫の研究活動に顕著な貢献をした16人の人物像やエピソードも描いている。
東洋学の各分野を代表する泰斗や専門家ばかりで、百年史を彩る人間ドラマとしても面白い。例えば、東洋文庫の「育ての親」といわれた石田幹之助(1891-1974年)は蔵書の拡充に尽力した。東京帝国大学の史学科を首席で卒業したが、第一高等学校時代は後に作家となる芥川龍之介と同級生だった。石田は北京でモリソンの謦咳(けいがい)に接して尊敬の念を抱き、自らの号を「杜村」と称するようになったという。
ミュージアムに「日本一の本棚」
2011年、東洋文庫にとって画期的な出来事があった。本館の建て替え工事竣工とともに、一般向けの「ミュージアム」がオープンしたのだ。開館直後、日本文学研究者のドナルド・キーン氏も訪れた。ミュージアムでは東洋の歴史・文化、東西の交流などをテーマとする企画展を随時開催、国宝・重要文化財など所蔵品を見ることもできる。
東洋文庫ミュージアムの「モリソン書庫」と評者(2015年7月17日、東京都文京区本駒込)
ミュージアムの見所は、モリソンのコレクションを高さ10メートルの大型書架に陳列した「モリソン書庫」。天井から足下までぎっしり詰まった蔵書群は壮観だ。“日本一美しい本棚”といわれている。
東洋文庫はミュージアム開設に伴い、研究者や専門家を対象とする「閉じられた」施設から、小中学生(中学生以下はミュージアム入場料無料、小学生の利用は中学生以上の保護者同伴が必要)から見学できる「開かれた」施設へと大きく変貌を遂げたのである。
(注)東洋文庫ミュージアムは現在、施設工事のため休館中。休館期間は2026年1月ころまでの予定。
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