ビルの谷間、歴史ある日本家屋でこだわりの和スイーツを味わう「Chanoma」(東京・池袋)
日本有数のターミナル駅を出て、雑踏から少し足を延ばしたところに、これほど穏やかな空間があるとは驚きだ。喫茶店をこよなく愛する文筆家・川口葉子さんが、東京近郊の「古民家カフェ」をレポートと写真で案内するシリーズ。第3回は東京・池袋の「Chanoma」を紹介する。
江戸時代から続く池袋の記憶
池袋駅西口の喧騒(けんそう)を抜けて歩くこと7分ほど。細道を一つ折れると、思わず足が止まる。都心のビルの谷間に現れたのは、豊かな庭木に包まれた一軒の古民家カフェ。別の時間がするりと入り込んできたような静けさの中、輝くばかりの緑の奥に、築80年近い木造平屋がたたずんでいる。「Chanoma」は、そんな静かな驚きから始まる場所だ。
この建物は、オーナーの深野弘之さんの祖父母が戦後間もない頃に建てた家である。深野さん一族は江戸時代からこの地に暮らしてきた。
エントランスに残る木戸門は、江戸末期から明治時代ごろに造られ、関東大震災と東京大空襲を生き延びた貴重な遺構だ。この歴史ある木戸門をくぐって、カフェに入ってみよう。
まず現れるのは、ベンチシートとテーブルが並ぶ土間。その奥には、深野さん自身が数年前まで暮らしていたという和室と縁側が続いている。
どちらのスペースを選んでも、大きな窓からの眺めは揺れる緑で満ちている。木漏れ日を楽しみたいなら土間で、古い日本家屋らしい陰影を味わうなら、靴を脱いで和室へ。光と影のどちらで時を過ごすか──それは、その日の気分で選びたい。
和室では、金雲や梅の絵柄をあしらった襖(ふすま)や雪見障子など、建築当時の意匠を生かした建具が大切に使われている。床の間と炉を設けた一室は、茶室として用いることもあるために華美な装飾を排し、心がほどけていくような落ち着きに満ちている。
素材を大切にしたメニュー
ドリンクやスイーツはカウンターで注文するスタイル。とりわけ人気なのが「濃厚抹茶テリーヌ」だ。愛知県西尾市の老舗「葵製茶」の抹茶をたっぷり使用し、抹茶本来の風味を生かした一品。燻製(くんせい)ほうじ茶の香りをまとったホイップクリームをトッピングして、味わいに奥行きとまろやかさを添えている。
併せて楽しみたいドリンクは、ミルクとほうじ茶の自然な甘みが調和した「ほうじ茶ラテ」。店長の加藤寛さんはにこやかに語る。
「一番茶を浅煎りにしたほうじ茶を使っており、茶葉そのものに旨みと甘みがあるので、素材のナチュラルな風味を感じていただけると思います」
ホットはもちろん、夏はきりっと冷やしたアイスも魅力的だ。
「ニシイケバレイ」── 谷間に生まれた新しいコミュニティ
Chanomaがオープンしたのは2021年12月のこと。
「顔の見える関係性を築きたい。この地を町に開き、人と人が交わる空間にしたい」
深野さんはそんな思いから所有するエリアを再開発し、Chanomaをはじめとした店舗の開業を後押し。ひっそりした住宅街を、緑の中の開放的な複合施設「ニシイケバレイ」へと育ててきた。
なぜ池袋に“バレイ(谷)”なのか。その由来は、高層ビルの立ち並ぶ駅前大通りに対して、この一帯は低層建築が多く、まさにビルの谷間のような場所だったことにある。そこに、さまざまな支流が合流する“谷”でありたい、という願いを込めた。多様な人々や機能が集まって緩い交流が生まれ、新たな風景がつくられつつある。
Chanomaの空間設計を手がけたのは、須藤剛建築設計事務所。敷地全体をゆるやかにつなぐというコンセプトのもと、かつて建物を囲んでいた塀は撤去された。敷地内のアスファルトも一部を剥がして植栽帯を設けることで、外部との境界が曖昧になり、居心地の良い半屋外空間が生まれた。
訪れる人々がそれぞれに自由な過ごし方を見つけられる──それがニシイケバレイの魅力だ。
Chanomaの向かいの駐車場を活用して2023年に開催された「ニシイケバレイの縁日」では、200人以上の子どもたちがスーパーボールすくいやヨーヨーすくい、焼きそばやかき氷の屋台に夢中になった。「ニシイケバレイの日」などのイベントでは、敷地内のシェアキッチン利用者によるマルシェも開かれ、人々が気軽に楽しめる機会を提供している。
数年前の取材の折に、深野さんはこんな願いを口にしていた。
「隣接するマンションに住む人々が1階に降りてきて路地を楽しむこと、子どもたちの声が聞こえること…そんな風景が生まれたら」
25年5月、ニシイケバレイの敷地内に集合住宅棟が新たに完成した。1階にはレストランやスポーツジム、シェアスペースがテナントとして入居。住人も町に遊びに来た人も自然に交われるパブリックな生活空間が生まれた今、あのとき描かれた風景が確かに現実になりつつある。
四季を感じる庭との共生
Chanomaは、ニシイケバレイの中核施設として最初にオープンし、多くの人々の関心を集めるきっかけとなった場所だ。完成された商業施設ではなく、「余白を楽しむ、まちの家」というニシイケバレイのコンセプトを体現している。
その庭には、春には桜が咲き誇り、初夏には梅が青い実をつけ、秋には栗や柚子(ゆず)がたわわに実る。庭木を選ぶ際には、「実がなるもの、葉っぱが落ちるもの、チョウが卵を産むもの」を大切にしたという。
植木を手入れする庭師、朝一番に水やりをする人、路地の落ち葉を掃く人。この庭だけでも、いくつもの手が関わり、小さなコミュニティが交差している。
「自分自身、この環境で働くことがとても心地いいんです。日々の水やりを通して、植物の生命力と四季を肌で感じています」と加藤さんは語る。
池袋のホテルに滞在していた海外からの旅行者たちが、3日連続でChanomaを訪れたこともあった。彼らは毎日違う友人を連れてきて、「朝の時間はここのカフェで過ごすんだ」と話していたそうだ。
ゆったり過ごしたいなら、土日のにぎわいを避けて、平日の午前に訪れてみてほしい。季節ごとに異なる花や実が迎えてくれるChanoma。何度でも通いたくなる、ひそやかな時間のゆりかごがそこにある。
Chanoma
- 住所:東京都豊島区西池袋5-12-3
- 営業時間:午前10時~午後6時30分(ラストオーダー午後6時)
- 定休日:火曜日
- アクセス:東京メトロ有楽町線「要町」駅より徒歩6分/JR「池袋」駅より徒歩8分
- 公式サイト:https://www.instagram.com/chanoma11/
取材・文・写真=川口葉子
バナー写真: 入口側からの店舗全景
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